昼食後、ポンペイ遺跡へ。
ポンペイ遺跡は、ヴェスヴィオ火山の噴火によって
一瞬にして火山灰に埋まってしまった、古代ローマ都市。
時代は日本で言うと、驚く事に弥生時代。
その高い文化と、人々の暮らしを今も見ることが出来ます。
この日は天気が良すぎるほど暑くて
私たちが日傘を差してると、遠足の子供たちが
「雨も降ってないのに、どうして傘差してるの~?」と言ってました。
・・・とガイドさんが訳してくれたんですけど^^;
イタリアの子供たちにとっては、傘=雨なので
日本人の団体が日傘を差してるのが珍しかったようです。
居酒屋跡
パン屋跡
手前の石臼で粉を引いて、奥はパン焼き釜。
公衆浴場跡
通りの馬車の通った跡の轍(わだち)が、くっきりと。
この当時の車輪の巾から、現在の鉄道線路の巾に生かされているとか。
日本の新幹線の線路も1900年も前の馬車の車輪の巾と
一緒とは驚きです。
飛び石のようになっているのは、横断歩道のように
人が渡るためのもの。
奥に見えるのが、ポンペイの町を一瞬にして飲み込んだ
ヴェスビオ山。
噴火する前は、左右の尾根(というのでしょうか)を
頂上につないだような形だったとか。
イタリア歌曲の「フニクリ・フニクラ」は、この山に登る登山電車を
歌った歌なのですね。
日本では「鬼のパンツ」の方が、わかりやすいかも♪
少しショッキングかもしれないので、小さめの画像ですが
逃げる間もなく火山灰に埋もれてしまった人の石膏像です。
そのままの形で、もちろん本当の人骨で頭は頭蓋骨が覗いています。
顔を見ると歯もあり、とてもリアルで
撮影する事はできませんでした。
「秘儀の間」の壁画
ポンペイレッドと言われる赤は、驚くほど鮮やかに残っています。
フラッシュ禁止にもかかわらず、赤はきれいに撮れてます。
この赤は今のローマの人の身体にも記憶されているのか
パスタ屋さんのイメージの、黄色の壁に赤い屋根などは
古代ローマの壁画からくるものだろうという事でした。
ポンペイの人々の暮らしは、日が昇り暮れるまで自然にまかせ
働いて、風呂に入り、酒を飲み交わし
殿方には遊ぶ場所もあり(この写真は割愛しましたが^^;)
逆にぜいたくかもしれないと思ったのでした。
ポンペイ遺跡を出て、次はカメオ工房へ。
製作中の職人さんは、この工房のカメオ造りの先生だそう。
実は、この先生の作ったカメオの指輪を買ってもらいました♪
ブローチは、あまりしないかもしれないけれど
カメオの指輪は優しい色なので、手に馴染んで付けても派手じゃないのです。
とても優しい笑顔の先生に、私のイニシャルを入れてもらいました。
ローマ最後の夜。
夕食は初めてのフリー。
少しでも言葉が通じるレストランをと、事前に調べていたお店
リストランテ・トゥディーニ
ガブリエーレ&トモコへ。
テルミニ駅からもホテルからもとても近いお店。
最後の晩餐?は、やっぱりピザやパスタ、ステーキまでガッツリ食べて
締めはやっぱりカプチーノ。
名残惜しい旅の最後のローマの夜・・・。
ポンペイ遺跡は、ヴェスヴィオ火山の噴火によって
一瞬にして火山灰に埋まってしまった、古代ローマ都市。
時代は日本で言うと、驚く事に弥生時代。
その高い文化と、人々の暮らしを今も見ることが出来ます。
この日は天気が良すぎるほど暑くて
私たちが日傘を差してると、遠足の子供たちが
「雨も降ってないのに、どうして傘差してるの~?」と言ってました。
・・・とガイドさんが訳してくれたんですけど^^;
イタリアの子供たちにとっては、傘=雨なので
日本人の団体が日傘を差してるのが珍しかったようです。
居酒屋跡
パン屋跡
手前の石臼で粉を引いて、奥はパン焼き釜。
公衆浴場跡
通りの馬車の通った跡の轍(わだち)が、くっきりと。
この当時の車輪の巾から、現在の鉄道線路の巾に生かされているとか。
日本の新幹線の線路も1900年も前の馬車の車輪の巾と
一緒とは驚きです。
飛び石のようになっているのは、横断歩道のように
人が渡るためのもの。
奥に見えるのが、ポンペイの町を一瞬にして飲み込んだ
ヴェスビオ山。
噴火する前は、左右の尾根(というのでしょうか)を
頂上につないだような形だったとか。
イタリア歌曲の「フニクリ・フニクラ」は、この山に登る登山電車を
歌った歌なのですね。
日本では「鬼のパンツ」の方が、わかりやすいかも♪
少しショッキングかもしれないので、小さめの画像ですが
逃げる間もなく火山灰に埋もれてしまった人の石膏像です。
そのままの形で、もちろん本当の人骨で頭は頭蓋骨が覗いています。
顔を見ると歯もあり、とてもリアルで
撮影する事はできませんでした。
「秘儀の間」の壁画
ポンペイレッドと言われる赤は、驚くほど鮮やかに残っています。
フラッシュ禁止にもかかわらず、赤はきれいに撮れてます。
この赤は今のローマの人の身体にも記憶されているのか
パスタ屋さんのイメージの、黄色の壁に赤い屋根などは
古代ローマの壁画からくるものだろうという事でした。
ポンペイの人々の暮らしは、日が昇り暮れるまで自然にまかせ
働いて、風呂に入り、酒を飲み交わし
殿方には遊ぶ場所もあり(この写真は割愛しましたが^^;)
逆にぜいたくかもしれないと思ったのでした。
ポンペイ遺跡を出て、次はカメオ工房へ。
製作中の職人さんは、この工房のカメオ造りの先生だそう。
実は、この先生の作ったカメオの指輪を買ってもらいました♪
ブローチは、あまりしないかもしれないけれど
カメオの指輪は優しい色なので、手に馴染んで付けても派手じゃないのです。
とても優しい笑顔の先生に、私のイニシャルを入れてもらいました。
ローマ最後の夜。
夕食は初めてのフリー。
少しでも言葉が通じるレストランをと、事前に調べていたお店
リストランテ・トゥディーニ
ガブリエーレ&トモコへ。
テルミニ駅からもホテルからもとても近いお店。
最後の晩餐?は、やっぱりピザやパスタ、ステーキまでガッツリ食べて
締めはやっぱりカプチーノ。
名残惜しい旅の最後のローマの夜・・・。